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ブログは考えをまとめる作業の手前のやつなのでした

 ブログを書かなくなって「これやばいな」と思ったのは、書けなくなる、ということですな。それでもまあ、週に1,2回は書いているので、「ブログやってる」と堂々と言っていい頻度ではあると思うのですが(言わんが)。
 僕はブログを確かに面倒くさいことだと考えていて、そう思っても仕方がないくらいに、手間を払っておりました。どれだけしんどいときにも、それがどのようにしんどいか(一応は)人に理解してもらうことを前提に、多少は説明的に、多少は感情的に、多少は読みごたえを意識したり、そういうことを一切意識できないようなときにでも、それを「10本のうちの1本」としてみれば許容できる範囲だと考えてポストするようにしてました。変な話、それが別に人に伝わっているかどうかは関係なくて、その場でやれることをやったつもりになるってことが重要だった。そういう気持ちで毎日毎日何かを書くようにしていたわけです。負担でしたな。
 書きつつ、これを止めたって自分にとって、周囲にとってどうというものでもなくて、おそらくは予想を超えるスピードで、無かったことになることもわかっていたからこそ、「いつ辞めてもいい」という気持ちと「何か掴むまでは続ける」という気持ちの間でずっといた。この数年そんな感じだったし。そんな書きたいことないし、書きたいテーマが見つかったときはむしろ「書かなきゃ」という義務感で焦って書く気力を奪われたりしていた。取り組んでみたら、思ったよりゴミみたいなものができて捨てたり、書いてて楽しくなかったり、作業感ばっかり強くなったりな。「お前がやりたくてやってんだろうが」ということって、見た目にそれについて言い訳がきかなくとも、決してやりたくてやってるわけじゃないって状況もままあると思うわけですよ。あの、センシティヴなことだから書きにくいけども、在日韓国人の一部が日本の悪口を言いながら日本から出ていかないことって、矛盾はしていないと思うんです。今日という日は別に、今日突然現れて始まって終わっていくわけじゃなくて、結局生まれたときから死ぬまでの連続の中にあるってだけじゃないですか。

 何が書きたいのかというと、今までは「書きたいことがなくとも、見つけ出して引きずり出して、まとめる」という作業を毎日していたところを、する必要がなくなったわけです。「わけです」ってそれすら片っ端から俺が決めてるだけなんだけど。それが、書かなくなって「まとめる」必要がなくなって、単純にまとめる技術が落ちた。筋力が低下したわけです。普段からこんだけ、まとめて最後に「人に伝わる形に形成する」ってことを意識してたのだと思った。
 大体原付乗ってるときとかにそういうこと考えたり、もっとはっきり、シールド下げたヘルメットの中で「ちょっと最近腹立つことがありましてー」と誰かに向かって話す練習をしたりする。僕にとっては、社会で生活することって、常に言いたいことがまとまっていないと不安な状況なのですよ。僕はそれを勝手に「引き出しの対応」と名付けてるんですけども。
 僕は自分で、普段から何を考えているのかよくわからず、言葉にすることが苦手なので、15歳くらいからは意識して「人に何かを伝える際の構成」についてすごく考えて練習してるんですね。今も練習中だし、できてない。すぐパニックになる。そして、いろいろ試した結果、「とにかく話の引き出しを増やして、状況を見て反射神経で『引き出しを引く』ことで人と形式的なコミュニケーションをする」という方針を作って、その練習をするわけです。そのためには、状況別に引き出しに手を伸ばす「正しき方向性」「反射神経」、加えて「引き出しの内容物」を増やすことがものすごく重要になる。
 引き出しの内容物というのは、自分が経験したり、普段考えていたりする、熱っぽく、嘘のない内容。掴めば全容がスルスルでてきて忘れないものがいい。そのために「まとめる」ってことがすごく重要だった。ブログはその「まとめる」手前のものをダラダラと載せる場所だったから、多少快楽的なところがあった。例えば「くだもの」の話題が出れば、「黄色いキウイ知ってます?超おいしいよ」とか「ばあちゃんには桃渡してたら間違いない」とか「地元ではフルーツ畑が昔あったけど」とか「スイカは種が無ければ好きなのに」とか。ほかの人が、他人と会話をするときに、その会話の構造についてどう考えているのかはわからない。でもとにかく自分にとっては、「人の話を聞く、聴いてほしそうか判断する、適当な相槌と質問、尽きたあたりで自分の引き出し」みたいな、ロボットのような動作でコミュニケーションの真似事をする。話題や人によっては、この一連にまったく熱量はない。反応であり作業であり、疲労そのものであることが多い。
 昔、この作業を練習する中で、「アロマ」の話題になり、適当にアロマについて質問したり相槌打ったりしてると長くなって「そんなにアロマに興味があるの?」と不審がられたことがある。まったく無かったし、相手にも興味がなかった。

 ブログに垂れ流すことって、自分が考えることばっかりになって、引き出しに「俺はこう体験した」「俺はこう考える」という、『俺』感が強くなっていく(相手の話が聞けなくなる)、という社会生活をする上での余計な点を感じてた。が、止めたら止めたで、熱っぽく話せる嘘のないものがそれほど増えていかないような感覚もある。原付に乗りながら、シールドの中で「最近こういうニュースありましたけど…」と話し始めてから、それについて自分がどう考えているのか、出てくるまでに以前より時間がかかるようになった気がした。まあ、単純に加齢かもしれんがな。

 かといって、今の精神状態で、更新頻度をゴリゴリ上げていくことは不可能でござる。

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