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アメトーーク「コロチキ・ナダルの回」感想

 バラエティ番組の面白かった回って、どうしても「面白かった」しか書けないから普段見たら速攻忘れていくのだけども、今回のアメトーークのナダル回ってのは、バラエティに関するいろいろなお約束をもう一層複雑にさせる罪と、新鮮さのある回だったし、こういうバラエティで久々「安心できてかつ突き抜けたバラエティ感覚」で腹痛くなるくらい笑った気がした。
 この間のめちゃイケ山本SPは、今まであったドキュメンタリックなバラエティー(ボクシングやエグザイルの真似事して頑張る、といった内容)のアップグレードだとは思うけど、内容が番組と出演者たちの人間関係・その歴史に触れる内容であったために余計な重みが増して、ドラマ性がドライブしたような印象があった。たぶん、それを織り込んで製作をスタートさせているとも思うけど、それにしても、めちゃイケが要所でよく行う方向性の中で、踏み込んだことのない領域に行ってたのは間違いないと思った。まあ、そう思ったら、翌週の放送では、加藤が山本直属後輩たちのコメントの要所をちゃんと頭に叩き込んで説教シーンを作ってたので、「そうはいってもめちゃイケであるなあ」と感心したり、演出の手のひらの上だったことにがっかりもしたりしましたが。めちゃイケは特に、安心をベースにすることに神経質だという印象。ただ山本SPの時は、「とうとうそれを破った」というように見えただけでも価値があったし、実際に視聴率や反響が高いことに納得した。

 音楽でもよくバンドが5周年とか10枚目とか、節目を迎えたら「原点回帰しました」というようなセールスコメントをつけられたり、実際そのおかげである程度セールスを上げたりもすることがある。しかし実際のところ、僕たちは「知る前」の自分たちには絶対に戻れないから、「ファーストのような10枚目」であって、決して「ファースト」を聞いたときのような感想を得ることができない。なんだってそうだけども、テレビにおける、特にバラエティというものは、「笑う」という目標に向かうためには、「革新」「再帰」とあと「組み合わせ(うまい書き方がわからん)」を繰り返していき「リセット」はありえない。今長く続いているバラエティって、伝統芸を見せ続けているのももちろん多くあるのだけど、革新を求めている番組も多くあって「バラエティが全体的につまらなくなった」とかは全然思わんですな。僕が気をつけてみているものに限っては。

 ナダル回については、これまで伝統芸になりつつあった「天然をいじる内容」に、「『いじられることを本気で嫌がる人』をいじる内容」という入れ子構造をかなり明確に見せていた。アメトーーク自体、そもそもバラエティをメタ的に見せるショーケースみたいな機能がずっとあったけど、今回はバラエティのサンプリングから生まれた革新の一つではないでしょうか。
 今まで「いじられることを本気で嫌がる人をいじる」内容はあっただろうけど、これが内容的に輝くのって、当たり前に、「バリューある芸人」の中で「バラエティ的リテラシーを知らない(プロ意識でもっても拒否できない)」上で「返しが面白い」必要がある。嫌がってることをエンタメ化するためには、嫌がってることが仕事として成立してしまうことが知られている現状では、緊張が薄い。視聴者は知ってしまっているわけだ。
 売れてるのにバラエティを拒否できる才能ってのは、売れる最中で必ずつぶされる。アメトーークでナダルが今回輝いていたのって、少なくとも、本気で嫌がっているが職務上拒否できない状況にある人材であった(ように見える)から成立した奇跡なのではなかろうか。
 この方向って、革新というよりは、今まであったもののアップデートだから、バラエティがさらに悪趣味になったともいえるし(本気で嫌がらないと納得しないところまで視聴者がリテラシーを備えている、という点で)、こういうスポットライトの浴び方でしかタレントが世に出られない厳しさってのも感じる。面白い人なんてもうすでに山ほどいるのだし。こういう激しい「イジリ」の対象はおそらく芸人に対してでしか許されないし、テレビに映る人ってのはさらに選別されるような気もした。
 僕は高畑祐太さんて方がドラマやバラエティで動いているところを見たことなかったのだけど、多分「こいつマジやんか」って部分がテレビに重宝されたんじゃないかと勝手に思ってる。「演劇じゃねえ、マジが見たいのだ視聴者は」「俺たちはマジを求めていくぞ」と探せば、当然コントロールできない天然にスポットライト当てざるをえなくて、それが芸人じゃない場合は暴発も見ておかないといけなくなるんじゃないでしょうか。

 それそうと、ナダル回死ぬほど面白かったのでお勧めです。ホイ!

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