FC2ブログ

父親死にました②(早朝呼び出し~死亡確認編)

 大体何が起こってもヘラヘラすると決めているために、父親が死んだことも、死ぬ手前のことも、必要に迫られて報告する際はヘラヘラしながら説明したのだが、やはり「父」とか「死」とかいった言葉が出てくると、どうしても一般常識を持った他人に脅しに近い何かを迫ってしまうようで、心底「誰かが死ぬってのはメンドくせえな」と思うのであります。かといって、ヘラヘラした僕を見て全力で父の病状を茶化しにかかってきた人もかつて一人いて、その時は「こいつ狂ってるな」とも思いました。俺は一体どうしてほしいんでしょうね。
 ことほど左様に、人の死が不自由なものであるってことは、あらゆる場面で、たとえ詳細な予告が行われていたとしても、当事者たちにとっては唐突さがあるということと、誰しも一回は訪れる最大のイベントであるゆえに、茶化しの対象にできないという認識上の不自由さがあるってことだと思うわけでした。日本語多分いっぱい間違えている気がする(書きながら不安)。
 そう考えれば、僕がウェットになり切れない自身の人間性を乱暴に処理しようとして、「何があってもヘラヘラできそうだし、基本的にヘラヘラ話そう」と決めることそのものに関する不自然さってのは、(特に社会的動物における)死が持つ不自由さに振り回された結果であるとも思いますな。あ、別にこういうことが書きたいのではない。でも、こうして『実父の死』というイベントと正面から向き合うと、いろいろ発見があって面白さもあるんですよ。ほら、こういうこと書くと急に不謹慎さとか良心の疼きが発動する。死ぬもんじゃないよ、本当。
 別に、今から書く文章は、これをうっかり読んだ人を暗い気持ちにさせようとかそういうつもりは全くなくて、「ゴリゴリの大人にとっての父がハプニング的に死んだ場合というのはこんな感じでしたよ」という記録として書くのみのつもりなのですが、死の不自由さに振り回されてしまうこともご容赦いただきたいと考えております。
_____________________________________

 父親の腎不全が10月の初旬に発覚して、その時医者から「やるだけやるけど、次に電話する際は死の報告かもしれんよ」と宣告いただいた。この4年近くは、とにかく人がソフトに死んでいく様をたっぷり見ていたために、「まあそうだろうよ」と考え、数日で加速度的に弱まり、あっという間に声掛けにも接触にも反応がなくなっていく父を見て、今年いっぱいに死ぬと素人ながらに判断した。しかし、何の根拠もない「今年いっぱい」という期限に関しては、「いや3か月切ってますけど、大丈夫そのギャンブル?早すぎへん?」と自分で切っておきながら信じられないでいた。後に「今年度には死ぬ、にするか」と考え直した。そんな予想が何になるという話だが。
 10月26日の6:30に病院から電話が鳴って、「あ、そうきますか」と思った。僕は寝るときに食いしばりがひどいので、一瞬で冴えていく脳を感じながら、糸を引くマウスピースを口から取り外し、ティッシュの上に置いて電話に出た。

 「もう心臓が止まりそうですので、来ていただけますか」
 「わかりました」
 「どのくらいで来れそうですか」
 「道路の具合によりますけど、30分くらいやと」

 電話を切った後に、困ったこととして、何を持っていくべきなのかわからんわけです。着いた時点で生きていれば関係ないが、死んだ場合は、手元に何があるとスムーズなのかしら。いつも使うボディバッグに、とりあえず財布とパスケースを入れ、昨日仕事で着てたチノパンとウィンドブレーカーをもう一度着てから、てんやわんやの病室にふさわしい服装について少し考えたあと、やめた。寝起きなので、とりあえず水を飲もうと冷蔵庫を開けた時に、開栓して半分だけのポカリスエットがあるのを思い出して、それに水道水を入れて、薄めて500cc一気に飲んだ。起きてから3分くらいの間のこと。「出るか」と思ったあと、mp3プレイヤーをパソコンから引っこ抜いて、それもボディバッグに入れてから出発。
 いつも夕方から夜間にかけて、病院に向かって原付を走らせているので、意外な方向から刺す早朝の光に慣れなさを感じていた。さすがに道路は空いているものの、「焦って病院に向かってる最中に転んでけがしたらややこしいし超格好悪いな」と考えつつも、ひたすら焦っていた。その時「生きている父に会いたい」という気持ちでもなくて、「結果を知りたい」というストレスに近かった。『あの…あ、やっぱ明日言うわ、今日やめとくわ』と言われたような気持ち。今言えよタコ。

 予定通りに病院に到着。『早朝ここにくるかー』と建物を見上げるなど。病院の駐車場は別の会社が管理しており、駐車カードをとって受付でパンチを開けないと一定時間の駐車料金が無料にならないシステムである。『仮に親父が死んでて、そのあとパンチ開けてもらったらなんか不自然なのでは』とか考えていた。これこそ、死の不自由さではなかろうか。『こういう時くらい駐車料金を払うような興奮状態であるべき気がする』と思ったが、いつも通り駐車券をとり、無料にしてもらう気満々だった。父が死ぬのと俺の財布から駐車料金分が消えるのと何の関係もないからな。
 病室に入ると、8人部屋のすべてのカーテンが張られていて、父のベッドだけ開いていた。それを確認するより前に『ピーーーーーー』とドラマでよく聞く心停止の機械音が聞こえていて、『あ、なんかドラマみたいやん』と吹き出しそうになった。同時に、現在の父に関する大きな事実が、滑稽さを根こそぎジャリ、ジャリ、と動しているような、不思議な気持ちになってました。つまり、面白さや悲しさや驚きというのは完全に同居できる、ということですな。味わったことない気持ちになった。しょっぱくてあまい、ハッピーターンのハッピーパウダーと同じ理屈やね。

 ベッドの上の父は物になって動かず、どう見ても死んでいました。

 看護師さんが口を開いて「電話したとき、もう心臓が痙攣してる状態で、少し前に…」と静かな声のトーンで話しかけてきた。多分、こういう場面を何度も経験しているのだろうと考えて、『ああ、気使わせてんな』と思った。まあ、気を使って当然という気もする。なんせ、「実父の死体が眼前にある人」なんだからなあ。

 「はい、そうでしたか、どうもありがとうございました」

 とりあえず返事をして、父の顔を触ると、まだ暖かくて、なるほどさっきまで生きていたのだな、と思った。しかし、誰も決定的な事実を言わず、僕もとりあえず何か気持ちの置き場が見つけられないまま、ベッド近くに立っていると、医者が一人やってきて、肩書と名前を名乗って、父の目と体を確認したあと、僕の方を向いた。
 
 「7:16、死亡確認しました」

 と、いうことで、父は死んだ。確認するまで、死は認められんようです。
 やはり死は不自由なもんですな。
 少し泣きました。

 まあ、どう書いても暗くなるよね、というパートは終了。続く。

コメント


管理者のみに表示

トラックバック