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父親死にました④(お通夜~帰宅)

 決まりがいいので最後まで書こうとして、実際に書いたらブラウザが落ちたりしたので間が開いてしまう。
 父が死んでから2週間以上が経過した現在に勢いで書いているこの文章だが、これまでのところ複数回『父が死んだ』という旨の説明を他人にすることになって、自分の心境について向き合うことがいつも以上に増えた。
 正直なところ、一番の盛り上がりというか、死に関してウェットになった瞬間は、死者から死亡確認時刻を知らされたときか、心停止の音を電子音で聴いたあのときであって、それ以降は今に至るまでそれほど心境として変わっていないわけです。他の方はどうなんでしょうね。ふさわしい心境とはどういうもんかしらね。この、死に関する心の動きというのが、結構想像通りだったのですよ。あまり予測不能なところがなかった。もっと言えば、死んでからの忙しさについても、「死んだあとは悲しむ暇もない!」というような感想を様々なところから聞いていたために、『確かに忙しい』という確認作業になっていた。
 時々は想定に対して実体験の迫力が大きすぎて、思わず言葉を紡ぎたくなるということがあるけども、僕はそういうことが少ない気がするのよな。次は二人の祖母、実母、その前に俺自身とかかもしれんけど、自分が痛くなければこの世の出来事は全部他人事になってしまうというのは、情報をまっとうに吸収しすぎた人間の病であって、時代の弊害な気がした。

 例えばねえ、時々、出された勢いとかで辛いものを食べてしまうこととかがあります。僕はある時期から辛いものを食うと、一定以上で確実に腹痛と下痢を起こして、何もできなくなるのですが、その辛さを知ってれば『絶対に食べる気をなくす』と分かっていても、時間が経ったら「このくらいいけるのでは」とチャレンジして食べて後悔するのです。そこに「そうはいっても食べてしまう時期が来る」という想定をしたり、「忘れる時期がくるから忘れずに避けるようにする」という想定をしたり、「いずれかの選択をとる」という100%を満たす例外処理をしてしまえば、何が起こっても想定内になるわけです。これが、もしかしたら老けるってことかもしれんです。そして、僕はわりと昔からこういう想定をするので、現実で起こることは確認作業で、新鮮に驚くのは演技性を混ぜざるを得なくなるのですな。
 死に関する情報なんてその辺にありふれてるしさ、想定外があるとすれば、自分の心の動きであって、事実ってそれほどドラマチックではないよなあ、とか考えるのでした。これ前書きでした。
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 自宅から原付で10分の場所が葬儀場だったため、慌てることなくゆっくりと自宅へ。6時間ぶりに家に戻って、喪服やら葬式グッズを手にしたときに「このままお通夜近くまでぼんやりしてやろうかしら」と思ったが、近く祖母も伯母もやってくるので、10分ほどただただ座り、もう一度原付にまたがる。
 到着すると、すでに祖母と、さっき僕と葬式の商談をしていた社員がなにやら話していて、目が合ったらいきなり話しかけてきた。

 「いや、僕じゃなくてね、花をね、お母様がちょっと言われたので」

 僕がなんのこっちゃという顔をしていると、祖母も話しかける。

 「私がね、言ったの、花がちょっと寂しいから、私出すからもうちょっとしてくれないかって」

 何を言っているのかというと、商談の際に、僕はあらかじめ予算を指定して、祭壇のグレードを決定していたのだが、到着即祖母が、「もっと花を飾ってくれ」とわけもわからず要求したそうだ。それを受けて、葬儀社はビジネスチャンスとみて、花の注文を増やしたのだが、すでに増量の注文の事後に相談を担当していた僕がやってきたためにとりあえず言い訳を始めたそうだ。そして、どんな祭壇にしたのか祖母に聞けば明確な返事を得られず、葬儀社の連中はそうこうする間に大量の花で祭壇を飾り付け始めて、もう取り返しがつかないことになっていた。
 まあ「この葬式は俺の金でやることじゃない、父の金でやることである」と初めから思っていたし、そもそも葬式ってもん自体生きている人間に言い訳するためにやるのであって、生きてる連中が満足するなら好きにせえや、という気持ちであった。そして「ああ、いいよいいよ、こんだけ綺麗やったらお父さんも喜ぶわな」と慌てた祖母を落ち着かせた。
 (後日だが、請求書を見ると、当初予定していた38万の祭壇が82万のものに変えられていた。一応値引きはされていたが、80代後半の老人をだました罪で警察沙汰にできるんじゃねえのこれ、と一瞬考えたが、面倒くさいのでやめた。)

 伯母も到着。伯母はハイパー人情の人で、間違いなく善人であるが、思い込みが強くて押しが強く攻撃的で、陰謀に弱くて声がでかいために、要するに厄介で僕の苦手な人である。父が亡くなるにあたって、もっとも騒ぎの中心になりうる人であるために、生前から流す情報の選別と配慮を行っていた。
 今回、何が引っかかってこちら側に矢を向けるかわからないため、会話の最中に「その方がいいっすね」「じゃあそうしましょうか」と早めに納得してひたすら尊重することにした。僕としては、死人となった父に『配慮』という文字は全く意味がないという核を持ちながらも、「あれを棺に入れよう/入れないでおこう」「私たちはああしよう」「かつてはこうするべきだった」「(父)はこういう人だった」と思い出話に対して、できるだけいいもの悪いも言わず、『そうだったのかもしれん』と心して思い込むようにした。壊れていく前の父の印象が強い伯母は、壊れていく最中と壊れきった父親が「どうしたかったか」ということを想像できていないように見えた。
 例えば伯母は、父がアルコール依存となった時代について、現場にいるわけでもないのに決して認めようとしなかったし、僕と母を人格を否定する言葉で罵倒したことがあり、それ以降は、人間的な会話をする気が失せたのが正直なところだ。
 相変わらず伯母は、人情の人であって、この世界には必要な人間に見えた。僕は当然、過去罵倒された経験から、アルコールのアの字も言わないようにした。伯母からも何も言わなかった。要するに、コミュニケーションなんかできてない状態である。それでも表面上は気遣い合う会話ができているのだから、お互いそれなりに人格的なところがあるのだとも思う。お互い救えないと思うが。
 父の棺に煙草を入れたいと僕が提案したが、今度は祖母が、ほとんど発狂するようなイラつき方で否定したために、もう何も僕からすることはなくなった。わかってはいたが、僕が息子として関わる葬式ではないのだ。父の酒もたばこも賛成しているつもりはないが、死ぬ直前の4年間、趣味も仕事も失った父はおそらく、酒か煙草でも飲みたかっただろうと考えたのだが。

 19:00、祖母、伯母、兄、僕の4人でお通夜開始。終了後、しばらく話したり飯をくったりしたあと、会場に兄と伯母が残ることになったので、自分は家に帰ることにした。この時、「最後なんで僕も残ります、とかなんとか言っておく方が息子として自然か?」と考えたが、撤回するのも面倒でそのまま帰った。何の意味もないとその時思ってたし、今も思っている。幸い、伯母も反対しなかった。伯母は決して話がわからん人でも、頭が固い人でもなくて、人情の人なのである。

 家について、喪服を脱ぎ、シャワーを浴びたあとに「死んだかー」と何回か口に出して言ってみたが、もう何とも思わない。このあと残っている儀式的なもののあと、自分の環境に起こる変化について考えて、想像もつかなかった。心境は、今とまったく変わらなかった。死ぬほど疲れていたが、寝つきはとても悪かった。寝付くまでの間、発狂して否定する祖母のイラつき方を思い出して、悪いことをしたような気持と、父の意思を思いやれない頭の固さや加齢に対してもう一回こちらがイラつく気持ちになった。

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