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休みがあんまりなくてつらいつらい話

 いろいろあった。
 まあそうなるだろうな、と思っていたら、ブログを放置する生活にも慣れてきて、一つ書けるような出来事があっても「元気がない」に加えて「誰が読むのだ今更」という気分にもなって、ダラダラと1か月経過してしまった。今久しぶり、こうやって『ブログを書くときの脳内作業』を始めてみると、明らかにその筋肉が衰えていることがわかります。つまりなんでも筋トレですよ。筋トレというのは時間経過とセットですよ。使わなきゃ衰える、使えば維持向上するという。
 「いろいろあった」て冒頭に書いたから触れるべきだと思った。
 別に変らず低空飛行な生き方しておるので、特に何もないのが真実なのですが、父が完全に死んだ余波はまだ健在であるし、週に1度の休日は的確に初任者研修の講座で潰れてるし、そのおかげで疲れが取れるタイミングが全くない、というのが正直なところです。

 僕は「ブログを日常的に書いているアタクシ」というのが嫌いでなかったし、自分の中で勝手に価値を感じていました。『こんなゴミみたいな俺でも毎日ブログ書くことは続けてられてるのだ』という感じで(なんだそりゃって話ですが)。
 で、わざわざそれを手放すに至った最も大きな原因はこの「週に1回の休みが(自分で決めて金出した)研修で潰れる」というのが主因になってます。よくさ、社会人やりながら別のことを趣味でやって、評価されて成功して、なんて話を聞きますけども、あれだって要するに環境や才能がものをいうのがわかりますな。仮に、才能が努力でしか開花しないのなら、それも含めてやっぱ才能なんですよ。
 もうね、すんげえ疲れる。ただそれだけ。親父が死んで雑用が大量増殖したってのもあるけど、9月の末から現在まで、その日一日何もない、という日がなくなった。僕はつくづく、安心を元手に何か派手は行動をしていたのだと気づきました。僕っていうか「人は」ってことじゃなかろうか。僕はまあ、安心に対する依存が過剰なきがするけども。
 明日がゆっくりだから、夜に映画を見に行けたり、ライブを見に行ったり、うっかり外食したりできる。ゲームをしたり本を読んだりできる。「その程度のこと」ってならない。「明日7時に起きる」となれば、夜の22時から自分の段取りが全部決まる。23時に風呂に入れていないとソワソワして焦る。夜から仕事だったとしても、その日宿直だったら「明日入眠するための時間調整」を前日から考えてしまう。明日が休みじゃないってのは、この『明日以降の想定』に永久に縛られて、仕事やらなにやらから全く抜け出せないわけだ。
 そういう行動をとってしまうのは、『明日(将来)がつらい(という予測)』が怖くてしかたがないから。リスクヘッジしなかったら、自分の責任だ。「つらい」を先送りにするのが嫌で、今の嫌さを優先してしまう。休みがないと、嫌な感じがループしてしまう。だんだんと、休みがきても「その翌日以降の嫌な感じ」を想像して休めなくなる。
 自分で積極的に首絞めている感じがするけど、「将来がつらい」のが心底嫌だと感じる出来事が起こって、自分をずっと縛ることになったのだろうな。なんだろうか(知らん)。

 こういう考えだから、今までいろんなことやめてきたんだろうな。学校やバイトや仕事や友人関係や女性関係や。頑張らなくていいところで過剰に頑張って、最後は何もしたくなくなる、という。
 実際、11月は「もう仕事辞めるしかない」って考えが固まってしまって、具体的に3月に辞める手順考えてたからな。まあ、別に、将来の辛さが煮詰まったことだけが理由ではないが。でも似たようなもんだ。自分が生きる道として、2年を直前に必ず見る光景として「辞めるしかねえ」って思ったのです。だってさー、辞めたら幸せになるビジョンしか見えなかったんだもの。

 初任者研修が終われば、書きたいことをライブでもう少しかけるようにしたいと思う。
 間違いなくいろいろあったのはあったので。こんだけ地味な人生でも、時々何か起こるもんです。しょうもないところでいえば、「自宅で飯食うときはかならずカット野菜を食う」ということにしてるのですが、その際に使うドレッシングジプシーの話とか(しょうもない)。あと、馬券を初めて購入した話とか(しょうもない)。
 いや、でもさ、初任者研修って、言ってみれば僕の現在の職業とわりかし近い位置の資格であって、趣味でやってることではないわけですよ。それで時間が占拠されるだけでこんだけ辛いんだったら、全く新しいことの場合ってすさまじいだろうね。なんもできないっすよ、俺の人生。

 もうちょっとブログ書いて生きた痕跡を残していくゾ!

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