FC2ブログ

今年のまとめとしての「金と期待と初任者研修」

 まさに年末ということで、 ブログでも書こうと思った(そういうスタンス)。

 現在僕は、初任者研修というものを受講している。9月から、「一応福祉職就いてるし、持っといて損はないんじゃね」という理由だけで受け始めた。「だけ」っていうと変だが、僕は、何者でもない僕自身がゆくゆくなんとかなっていくために、『死ななければいろいろやっていく』という、これ以上ない強い指針をもって行動しているので、ギャンブラーがコインサンドに金を突っ込むような気持ちで受講料を60000円くらい払ったわけだ。だからこう、変な話だが、人よりも「投資」という意識がとても強いと思うし、変な期待も多くしているわけだ。変な、ってのは過剰な期待というか。期待感に金を払うわけだ。
 そして、上に書いたような「期待感に金を払う場合に損失感を一切感じない」ので、変な出費に抵抗がない自分の性質の謎が明かされた一年だった。さらに、それをこうして言葉にすることで、『ああ、やっぱそうなんだな』と変な納得をしている。

 初任者研修を受ける期待感に、もちろん資格を取得してその後の行動の幅を増やす、という目的が大きいのだが、「自分を人と交流を持たざるをえない状況に放り込める(これによって自分の生活が変化する)」というのが一番大きい気がした。自分が人と交流をもって、その関係を楽しんで維持できるような人間へと変わっていくためには、当然そもそも人と出会わないとあかんからな。
 それを、まるで馬券を買うような気持ちで取り組んでいる時点で、すでにいくつかのハードルですっ転んでいるのはわかっているが、それでも僕は、自分の人生に期待することがやめられなくて、馬券を買うのだと思う(文字だけだったら競馬狂いやん)。期待がなくならない間だけは生きてられるから。期待があった場合にだけ頑張れるから。逆に言えば、普段の人生にもう何も期待していない。頑張れるポイントを見出しにくくなってる。まあ、それが日常っていうものだろうし。

 行ってみてわかったが、初任者研修は生徒の過半数が女性で、わりと若い人も多い。僕は若い女性が基本的に苦手で、顔の気持ち悪さもあって、大体教室の端っこでデュフデュフ言い、既婚イケメンが人気者ギャグでひと笑い頂いているのを遠目に、もはや憎しみを持つことなく羨望している。
 それでも、『10年前なら来ようとも思わなかった』『20年前なら死んでいた』と今になって思う。今は、年下、年上の同性となら、特に何もなく話せる。女性だって、アレルギー持ちじゃねんだから、条件がそろえば表面上の会話を数分継続することだってできる。
 講習が終盤に迫った前回の通学では、教室全体で作ったらしいグループラインに招待された。大人な人たちが哀れみをもってくれただけかもしれんが、許容可能な気持ち悪さでとどまれる程度に、自分が社会性を3か月は保てたってことだろう。もう、客観的に自分を見れないので、これが妥当な書き方がどうかもわからん。グループラインには参加したくないが。微塵も。でも、『あ、いっすよ』とノータイムで返事できる程度には僕は社会性まがいのものを、あいつらに見せつけられたのではないか。

 僕は60000円出して期待感を買った。その結果、(おそらくは)資格と、今すぐ死ぬしかないというわけではない自分を確認することができた。これがうまくいかないことがこれまで何度もあって、おそらくこれからもあり続ける。自分がこのまま息をしてはいけないような感覚。おそらく何度もある。だから僕は、今後も期待感を買い続けるしかない。金でそれを確認できるなら、それは僕にとって大きな損失じゃないのよな。どうだろうか。まあ、ポンポン10万の金とかでないけど。ぶっちぎり低所得やしさ。
 毎日現実のエッジに立ち続けて、誰の目にも晒されない家にやっと戻ってくると、とても疲れてることを実感する。仕事時間が1時間延びるのも嫌だ。『わかる』と同意されることも『それは俺のとちょっと違うのではないか』と疑ってしまう、ていうか大体違うと思うところから始まってる。期待を金で買って何が悪いか。人の誉め言葉が信用できない。人の指摘が過度に心をえぐる。
 もし愛情が俺から生み出せているのだとしたら、何とかグラスに掬って見せてもらえないもんだろうか。生み出せてないとしたらどういう種類の努力したらいいのか。やれてないことがたくさんあるはずなのに、毎日疲れて力がでない。だから僕は横柄な気持ちで、金で解決できそうなことを考えてしまう。

 音楽を聴くとか、本を読むとか、テレビをたくさん見るとか、映画を見るとか、講習を受けるとか。
 その結果、「何も成せない」ということが明らかになっていくかもしれないけど。
 でも、幸い、僕が死ぬまでに、馬券を買いつくすことはないだろう。
 全体的に生きてて楽しくはないが、楽しむことも愛することも、努力が必要だと何かに書いてあった。僕も実体験として大いに思い当たるから、僕は何かサボってしまっていたのだろう。必死のつもりだったが、悲しくて苦しいが、努力の余地があるうちもまた、自殺の先延ばしの理由になる。

 期待感に埋もれて死ぬ。それが僕の今生きてる理由なのだと、今年思った。

 みなさんよいお年をお迎えください。

コメント


管理者のみに表示

トラックバック