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父親死にました⑤(葬式~現在)

 最後まで書いていないことを思い出したので書こうと思った。
 もう丸2か月以上前の話になってしまっているので、今から思い出しながら書いていく。父が死んだことくらいは、きりのいいところまで書いたほうがいいような気がした。
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 父が死んだ翌朝も、普通に自室で目覚めた。ふと、「本来ならグループホームであの仕事するはずだった」とか考えたが、休みとなった今日は今日で『仕事ではないもの』でがっちり拘束されていることに損した気分だった。そういえば、今自分が仕事をせずここにいるってのはどういう扱いなのか正式によくわかってない。確か、身内が死んだときだけ適用される休みの制度があったような気がして、脳内に何かを思い浮かべるが、文字の形が浮かんでも、よく考えたらそれを読み上げようとしたことがなくて、後々それが「忌引(きびき)」ということがわかった。
 こういう「確かに通ってるのにスルーしていたもの」を経験させてくれるのは、なかなかありがたくって、まあ、父が死んで得られたことの一つだと思った。わりとまじで。

 朝葬儀場に到着すると、伯母・祖母・兄・伯母の夫・従妹がすでに座敷に座っていた。葬式会場である背後からは、父の部屋から見つかった山下達郎のベストアルバムが相変わらずループで延々と流れていた。
 葬式に出席するのは僕を含めて上記の6人。兄の関係者が義理で来る可能性もあった(実際来た)が、それでも会場に対してあまりにも人数が少なかった。ならばこの葬式って一体何の意味があるのかと思った。葬式自体、特に何もない。ほぼ関係者しかいない10人満たない出席者に対して、僧侶がお経を読み上げ、司会がそれらしく(またはそれらしくない)父についての情報を読み上げ、さらに兄が喪主として父の思い出を虚空に向かって発表していた。なんじゃこのセレモニー。無駄の極みである。
 が、儀式から無駄を省いたら何も残らんのだ。そして、儀式は必要なものなのだ。30超えたら心からわかる。むしろ、この抵抗感は合理性から感染した病のようなもんだ。人が生きてるモーションは全体的に無駄ばっかなのに、どうして役に立つ・立たないを判断した上に、それが価値のあるのないのを考えてしまうのだろうか。そういう趣味的なところもあるが(特に僕に関しては)。
 葬式の内容について書くことは別にない。どこまでそういうものだと考えてたのか、時間もたって忘れつつある。このセレモニーのおかげで、「父が死んだ」という思い出は強く残っているがな。おそらく今後も。
 なんていうか、はっきり言って、現在の僕の人生に、何の影響も起きてないのだ。父とは1か月に1回会うか会わないかだけの関係だったし、血のつながりがある以外何のつながりももうなかった。話さない人、出会わない人は、血のつながりがあっても何もないのだ。何かあるとすれば、それは『何か起こしたい』と自分で望んでるのではないかと思う。若しくは、自分の損失・喪失に直接つながっていうかどうか、という。
 この間タイのプミポン国王が亡くなったニュースを見た時に、「一般的タイ人の反応」にとても違和感があった。もちろん、報道に即してかなり味付けはしてるのだろうが、それが親愛によるものかどうか判断できなかった。親愛はあったほうがいいのだろうか。いいのか。なんか俺人間の心を探すアンドロイドみたいになってんな。絶対、俺何か書きすぎてると思う。

 葬式後、出棺、火葬場、式場戻り。予約していた料理を食べる。『そういうものだ』と説明されたので注文した一人3500円の懐石だった。うまいが、コンビニのおにぎりでも全然かまわなかった。その際『自分の葬式はどのようなものにするか』という話が出た。当然、大体の人が「もう私なんか燃やしてその辺に放ってもうてええわ」というようなことを言った。祖母も、伯母も。おそらく本音だと思う。
 が、だったら今やっているこれは何だと言いたかった。まあ、実際に「やれ」と言われてやっているわけではないが、祖母は「もう少し花を」と言って値段を2倍近くの祭壇にした。伯母は「弟(僕にとっての父)の扱いが悪い」と僕と母の人格を否定して怒鳴りつけたことがあった。要するにこいつら、死を思い通りにできると思いあがっているのだ。『私が死んでも気にしないで』と望む身勝手さに若干イライラした。別に、あの時交わした会話に何か意味があると思わん。しかし、死の不自由さに振り回されてるから、俺は今これをしているのではないのか。「まあでも、そういうわけにはいかないですからねー」と、思って、実際に言ったかどうかは覚えていない。

 そしてそのまま初七日突入。別に書くことはない。無駄にタクシーで行ったり来たり、お経を聴いたり座ったり。
 「こんだけやったんだから勘弁してくれよ」という気持ちになった。
 翌日、普通に仕事に行った。後で聴けば、忌引は死んだ当日から3日適用されるということらしいので、その日も本来は休めるらしい。休めば良かったけど、休むことで起こる自分の気分の変化がとても怖かった。父が死んだ事実と、自分が社会に立ち向かっていることとは全く別の問題だった。
 葬式終わりに、葬儀担当者と今回の費用についての請求がきた。どっかのタイミングで書いたが、本来注文していた祭壇のグレードが2倍以上の値段のものに変更されていて、そこから少し値引きされていた。具体的に「そうします」という話はどうやらなかったので、わりとサギに近い商品の売り方だと思うが、祖母が決定したことだし、僕の懐が痛むわけではないから何も言わなかった。払い込みには限度額いっぱいまでカードを利用して、残りを現金で支払った。翌月、カード請求に「750,000円」の表示があった笑いそうになり、同僚や利用者さんに見せた。

 葬式が終わった翌日から、市役所に様々な書類を書いたり引っ込めたり、もう忘れたが挨拶をしたりした。職場では「親死んだ手当(名称忘れた)」として何千円か現金でもらった。『なんじゃこの金』と思ってすぐICOCAに突っ込んだ。そして「大変やったねえ」と社交辞令をたくさんいただいた。
 死んだ直後から初任者研修を受け、治験も受けた。何をしていても「こいつら俺が数日前に親死んだと思わんだろうな」と思っていた。そして、そんな気分も薄れていった。先日、父の銀行口座の相続のための凍結解除手続きをしてきたが、これが大きな事後処理の最後だと思う。2か月って思ったよりも早く、思ったよりどうにもなってない。なってるのかもしれないが、それを感じる部分が僕はぶっ壊れているのかもしれない。

 人が死ぬと面倒くさい。人が死ぬと振り回される。
 しかし、びっくりするくらい落ち着く。何もなかったことになるくらい。
 死ぬことは怖いが、死ぬことは悲しいことではない。ただ生きてる人間が騒ぐだけだ。父の人生は後半とても苦労していたようだったが、残念ながら僕の知ったことではなかった。別の生物だから、それを肩代わりすることができないのだ。実際のところは誰にもわからない。自分のわかってることだけが事実であって、この世には解釈しかないのだと改めて感じた。

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