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2年問題は終わらないが

 僕は14歳以降、2年間同じ共同体で社会生活を送ったことがない。バイトとか、正社員とか、塾とか習い事も学校もない。一応僕の家族には所属しているが、同居しなくなる前からも、在宅中に部屋から出ることはほとんどなかった。そうなった「初めて」は、中学受験で入った、地元ではない中学校の2年の冬頃、家を出ようとして胃が痛くなったことであり、そこから僕は気分がずっとすぐれない。ずっと疲れやすくて、不機嫌で、明日がくることに不安を感じている。1年の経過が果てしなく感じて、1年半を超えると、時折手のひらや足の裏に『じわ』と音が鳴るような嫌な汗を掻いて『行くな』と止められるような気持ちになった。
 中学2年以降、何か始めては、やはり2年以内に同じ症状に当たり、少し休んで同じように自分を試すのを繰り返した。どうなってるのかは自分でもよくわからない。はっきりしているのは、自分はそういう人間で、この「2年問題」はすぐ死ぬ予定がないのなら、立ち向かって解決策を練らなければいけない問題になった。

 この「2年問題」について、『なぜ』とか『どうする』とか、考えて実行してきたことが山のようにある。今、それを考えて少し整理しようと思ったけど、何を始まりとして、何に手をつけて、どういう効果を得ていったか、全く文章化できない。どこまで戻って何から書けばいいのか自分でもよくわかってない。2年問題で何が一番タチ悪いかって、2年ごとにかかわりある社会と関係をぶった切ることになるから、長い付き合いの知り合いが皆無になって、相談する相手もおらん。僕自身の特性もあるけど、僕は「影響される」っていう言葉をあんまり信用していなくて、人の話や本を読むなりして何かを得ても、自分の偏光レンズで食い荒らしたい部分だけ取り入れるように人間できているので、影響されるのではなく「影響されにいく」ほうが近いと思うからである。2年問題と関わり続けていると、「影響されに行く自分」を非常に自覚的に感じるのよな。自分がやってきたことの客観的な評価の情報がなさすぎるから、整理もまったくしてこなかった。
 今僕を支配するのは『俺の問題については、俺だけが立ち向かってきた、おそらく今後も俺一人で解決していくことになる』という巨大な自意識でした。努力の方向もわからんまま、光がちらついた気がする方向を見つけては全力で立ち向かって、なんとかした気分になって、あきらめて戻って、20年経過した。髪を脱色したこともあったし、一人で東京に出かけてみたこともあった。不登校の集まりにも出たし、治験にも参加してみたし、スマホを買ってLINEを登録したり、学校に通ったり、正社員になったりもした。最近、ヒモまですべて蛍光色のスニーカーを買って、実際に履いて仕事に出かけたりもした。馬鹿かと言われそうだが、全部「2年問題」解決のための方策です。

 来月の9日に、今の職場で丸2年を迎えることになる。
 今の心境としては、「辞めたい」ってのが正直なところです。が、次の働き口を見つける気力がないから、しぶしぶそこに居続けることを了承する気分でもある。多分、来月9日までは辞めてないと思う。これが成長なんだかどうだかはわからん。だって、実際に生きてて何も楽しくないし。毎日疲れている。少し前、はっきりと「もう辞めるしかない」という気分にもなってた。それも、何度目かである。丸2年同じ職場で働けそうになってしまってることに『そういうことじゃない』という気持ちが強い。

 でもまあ、僕は、この問題に20年取り組んだベテランとして、いくつか真実も感じてる。
 まず、「2年間同じ共同体で社会生活を送る」=「ぜひその共同体で今後も生活していたい、という心境になっている」ということが幻想であるということ。受け入れがたいが、50発殴られて限界だったところが、50発までは慣れてしまったという、根本の解決ではない延命治療が成功したということだ。
 次に、僕は、自分が考えて実行するいろいろなことで「魔法のように何かが解決する」ということを一切経験してこなかった。常に「今度こそ」と考える中で、20年経過した。魔法やトリックはなかった。一つずつ解決していくしかなかった。14歳の時に考えてたのは、病が治るように、人生をとらえなおして楽しく生きられることだったが、その幻想に未だ脳を焼かれているだけだった。今後もいろいろやっていって、時々疲れてしまって、グチグチ何か言うのを繰り返すだけだろう。
 次に、投げ出すことについてのコストもわりと激しいということ。成長して3年目に突入した、という考え方もあるけど、離脱のコストは年齢とともに激しくなるんだから、行くも戻るも地獄の状況にあるだけだ。問題を魔法のように解決する実感を(おそらくは)得られないで死ぬのだから、今の時分はただ死んでないだけの14歳とあまり変わらん。
 最後に、こういうこと考えて疲れて、動けなくなったって、それでも仕事に出かける時間がやってきて胃が痛んだって、安定した気分でゲームしたり映画見たりしてたって、積み残した問題を認識して解決するのは俺一人である、という(絶望的であり希望的な)事実ですな。

 3年目を迎えそうなのに、何かが終わった気がしない。
 2年問題がより入り組んだだけな気もする。それもわりと大きな可能性で。

 ただ、『2年経過するのか』と思った。2017年。
 長かったな。全然続けられなかったからな。
 今当たりくじを少し多めに引いただけかもしれないけど、それでも、くじを引くために並び続けたのは間違いないからな。本当に、2年続けるの、達成するまで長かったな、と思ってブログ書きました。
 

コメント

拍手コメント返し
> 元不登校さん
「30年も生きれば意外となんとかなってんじゃないの」みたいなのが一切通じないんですよね、人生。きっちり積み残した分はあとで処理しなきゃいけなくて。だから計算通りいけば、僕が死ぬまでに人生で何かを成すことはほぼないような感じがします。長すぎる。

> 名無しさん
今の職場で続けられてるのって、奇跡的に人間関係薄くても仕事を認めてくれるような環境だからであって、やっぱ努力が実ったとかそういう感じがしないんですよねー。むしろ「やばいぞ」という気持ちのほうが強いっす。でも頑張ったという気持ちもそれなりにあって。

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