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俺だけの事実を口にするでない

 とてもつらい。
 相変わらずラッキーパンチ就職でどったんばったん大騒ぎ(オリジナルのポエム)な昨今のわたくしなのですが、前々から生きるの向いていないと思っているので、そこに社会生活とかなったら余計につらくなっております。なんとか、こういう無駄なことを書きながら、本題にスムーズかつ大胆に入り込める文章が出てこないかなあ、と考えております。

 このネットの世界では、障害者であることをうっかり悪口の一つとして使われたりするようですけども、そもそも僕の職場環境が障害福祉のジャンルであるわけで、特に社会福祉に熱くない僕としては「使い方間違ってるけどなあ」とか思ったりするわけです。「脳に障害があるんじゃないのか」という文章は、一応そういう職業に就いてしまった人間が読むと、「高次脳機能障害ということなのかな」と思ってしまうというような。つまり「超絶バカ」と同じ意味合いで「脳に障害がある」という言葉を使われると、『ズバっとこねえ悪口だなあ』と思ってしまうわけです。
 逆に言うと一応この職業で働いてる自分が「障害があるのではないか」と言った場合は、その人を悪く思っているかどうかは別にして「障害がある」という意味そのままなわけですよ。
 で、また僕は『そう思っている、ということに抗えない(抗うことは無意味だ)』と考えている人間でして、僕は僕が見えたもの・考えたことはある側面からはかなりピュアな成分で見せていると思っていたりします。ある意味で、自分でそういう訓練を課して生きてきたような気すらします。リンゴはより赤く。カラスはより黒く。表現ってまあそういうことだろうしさ。この僕の文章が『表現』云々の枝葉でも語るってことは異論受け付けます。生きてる僕がキーボード叩いて打った文章なんだから表現でいいだろ。そんくらい開き直ろうか。ごめんなさい。

 何が言いたいかと言いますと、「僕が見えている事実を語るだけで対象を傷つける可能性が高い」という場合は「事実だから仕方がない」と思っていいのかわからない、と思うわけです。
 一段落前の話で言いますと、「あいつ障害あるんじゃなかろうか」という発言は、どういう意図を込めて、たとえ文章そのままの意味であったとしても、それが悪口として十分な強度を『普通』含んでしまうよね、っていう話ですな。
 それに対して僕は「じゃあどう言えばいいんだタコ」とイライラするわけです。
 増してそれが、仕事上伝えることが必要な内容だったりすると、尚更な。
 そして、仕事上必要な『普通悪口と捉えられる内容』を伝えることで反撃をしばしば食らうことに、僕はとても理不尽を感じるわけです。俺が趣味で相手に悪口言ったと思ってんのか馬鹿が、と。

 とはいえね、間違いを指摘される、というようなことを全く感情を排して受け止めることが通常難しいのは、僕自身のことを考えても当然かなあと思います。僕なんて職場でキャリア浅いですし、職種でもキャリア浅いし、ていうか社会人キャリア浅いし。それがどういうわけか管理職まがいなことやらされてて、そんな年下でキャリア浅い人間から指摘されてイラつくなっていうほうが無理な話なんでしょうけどね。
 まあだから俺のこういう配慮についてだって、「てめえの仕事がゴミだからてめえよりゴミの俺が指摘せざるを得ないんだよゴミ」という僕から見えている事実にミルクと砂糖をたっぷり入れて伝えてしまうわけですよ。
 そしてその人どうやら職員にして障害持ってるんで、また話ややこしいんだわ。

 いつも思うのが「僕が捉えた事実そのままを素直に言葉にする、ということは特に誰も求めていないことなのではないか」ということなのです。素直に言葉にしないことが社会的であるということな気がする。誰もが気付いている厳然とした事実であっても、口に出さなかったらそこにないことになる。そういう状況を見ると『この人たちは見えていないのか』『または俺にだけ見えている(俺が狂っている)のか』と揺さぶられ、場を見て事実を言ったり言わなかったりするが、口に出した瞬間「自分もそう思ってた」とひったくるように自分の意見にしていく現場を何回も見た。そういう状況に出くわすと、急に責任が可視化されたされたような気がした。
 『自分が思っていた”これ”は誰もが口にするのをはばかることであって、ないほうがよい』と思うたびに心でその思いが鋭い言葉になっていって、隠そうとするのがしんどくなる。『俺はそんなことを思わないほうがよい』と意味のないことを考えてしまう。
 だって、誰も口に出そうとしない。そうやって社会的にやっていこうとする。対して俺は、俺にとって不快な要素が他人にとっても不快かもしれないと思ってしまうし、一旦まな板の上に乗せないと気持ち悪くなってくる。なんてあさましくて性格の腐った人間だろうか、と考えてしまう。『俺という人間はなんて社会的でないのだろうか』と。

 同時に、『抗わない・抗うことに意味がない』と考える僕ですので、『俺がそう思った』ということは、もう絶対なんです。揺るがないんです。俺がそれを言葉に出したってことは、ストーリーも根拠もあって、他人も俺も否定できないんですよ。
 じゃあ俺の思う「これ」はなんなのだ、と。苦しむ要素でしかない。
 気付かなければ、考えなければもうちょっと楽に生きれたかもしれないのに。
 だからこそ僕は、僕の考えを言葉に出すときって『ある程度否定しがたい客観的なもの』であることから出していくようにものすごく気をつけているのです。ここも『(特定の人を指して)お前らとは訳が違うほど採用する事実も言葉も選んでいる』と強く思うし、余計に自分で「思うこと」を否定できなくなってくる。真っ向から安い武器で立ち向かってくるようなやつは、また浅い思考と弱い根拠で「とにかく一撃食らわしたい」という悪意一点でぶん殴ろうとしてくるからな。

 そんで僕も、「これも仕事だ」と諦めて何発かぶん殴られるんですよ。ヘラヘラして。
 殴られている間『生きるのがつらい、早く死にたい』といつも思う。
 考えなければ、何も見なければ楽なのにな。

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