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映画をそんなに見れていない悲しみとは

 適度に書くことあんだけど相変わらず元気なくてね。
 前回書いてからちょうど1か月過ぎそうなので、今とりあえず何か書いている。とりあえずある程度ここに文量が出来上がれば、アップすることだけ決めて書いた。書いてて一度消した。んでもっかい書いてる。

 もうね、俺もね、「今落ち込んでんすよー」みたいな文章書き飽きてるのよな。
 そういう書き飽きてる表明も書きたくないのよな。だから一か月空いたわけですな。でも一か月待ってみた結果、あらゆる新鮮な、わりとポジティブな出来事を書く余裕は一度も現れなくて、ネガティブなことはもちろん書く元気がなくて、『広告出る前に何か書こう』って義務感が最後に残ったってわけですな。
 ほんで今思ったけど、どうですか。これってね、僕の日常生活そのものだと思わんですかね(知らん)。いやまじ知らんな。すいません。でもまあ、そうなんですよ。積極的じゃないし、大体元気ないから、心のどっかで『強制され待ち』になってる。そうならないと何もやらんから。強制されるまで何もやらんくせに、一定以上やりたくないことは、強制されること自体にバリバリ屁理屈こねて文句言う。やりたいことはなにもなくて、やってもよいことは「あ、いっすよ」と返事に渋々感を一滴混ぜたりする。それを、相手、状況を見て必要に応じて濃度を変えていく。
 誰かのせいでないとよ、この世の中なんか生きてられるかよ馬鹿か。

 僕、『今年は映画を観る年にする』って決めたんですね。実際観てます。同じように2011年、映画を観る年ってことにして、劇場で150本くらい映画観たんですよ。
 今日、今年劇場で見た本数数えたら、52本でした。6年前の1/3でした。今年の終わりまであと1か月弱で、多分60本は届かないでしょう。
 生活サイクルがその時と違うし、市内で仕事してたのもあったから仕方がないんですけど、僕、なんかすごいガッカリしたんですよ。これ「映画観てます」って言える本数ちゃうな、って。本当に、自分は映画好きちゃうねんな、と。
 映画って「金払って観るだけ」で完結する行為で、資格も何も必要がない。ヒマと金があれば馬鹿でもできる行動なんですよ。2011年、映画を全く好きでない僕が、世にいう映画好きの方々に対して「大金を払い、時間と本数を消費することで簡単に肩を並べられる」ということを、150本観ることで証明できた気がした。簡単じゃなかったけど、簡単だった。この行動に他人が一切介在しなくても、僕の映画鑑賞が、その年だけ公式な趣味に昇格した気がしたのよな。やればできることだったわけですよ。
 2012年は多分劇場で5本以下だったと思う。2013年は見てなかったかもしれない。
 2017年は「観る」と決めてさ、条件がいろいろと変わってはしまったけど、元気がなかったら簡単に観るのを取りやめるのな。雨が降ったら出かけないし、気の重い仕事が詰まってたら先送りにする。もう、そういうことだった。やっぱり俺は何もない人間だったのか、と。2011年の自分を思って、「まるで何かに夢中の人間になれたようだなあ」と思っていたことを思い出した。その時少し人間になれた気がしてたんですよ。

 格ゲー好きな人のツイッターとか、電車好きな人のツイッターとか、安倍政権が嫌いな人のツイッターとか、眺めてるとそればっか呟いてたりすんのよね。一時的かこれからもそうなのかわからんけど、俺は俺のことずっと呟いてるんですよ。目の前がそればっかり。50本劇場で映画観るのもさ、中々の本数かもしれん、実際は。でもそれでタイムラインが埋まるようなことはない。意識的に書かないのは別にして、何かに夢中になってる人に強くあこがれる。何かに夢中になってることで金をもらえている人に強い嫉妬もある。
 俺にはそれがない。きっとあったはずなのに。努力不足か運命かわからんけど。
 当面というか結構長い間、「明日も俺が俺であること」が苦しみなのよな。
 いろいろやっていくしかないんやけどさ。いろいろやってくよ。多分。

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