いつぞやだか、自分というものを完全に見失ったことに気付いた僕は、自分を構成するものを必死こいて探したりした。その序でに「こんなのが好きな俺であるかも」とジャズを買って聴いたりしてみた。
このアルバム「至上の愛(Love Supreme)」を買ったのが数年前で、その理由は、もしかしたら「ジョン・コルトレーン」という名前に見覚えがあったからかもしれないが、一番大きな理由としては「表面を向けて陳列されていたから」という、よく言えば縁、悪く言えばジャズならなんでも良かったんだろう。
そんな出会いにも関わらず、始めてこれを聞いた時、ぶっとんだ。手が震えた。喉が震えた。
その時行っていたバイトのおっさんに、その素晴らしさを延々と語った気がする。何を、どういう言葉をもって誉めたのか、また今より更に音楽の言葉の引き出しも少ない時分に、何をどう理解して自分で消化できたのかは思い出せない。
ただ、自分で言っててしっくり来た言葉で
「『俺はジャズで食ってる、表現してるんだ』っていう血を吐くようなサックスだった」
と自分で言ったのは覚えてる。
いいながら、このアルバムを最後にいつ聴いたのか忘れたくらい聴いてない。
で、今にしてだが、自分がジャズが好きだと胸張っていえない。
数年前の「至上の愛」との出会いからこっち、「自分はジャズが好きなんだ」という誤解のような、そうでないような気分を抱えて、十数枚以上アルバムを買い、家で聴いてみた。が、やっぱり今もって分からない。分からない部分が多い。「良い」とも思う。ただ、「すごく分かる」とは言えない。
「正月一発目は何を聴こうか」と、如何にも俗っぽい思考でもって、家のCDをがさがさ引っ掻き回してると、紙ジャケット、特殊ケースコーナーに、紙ジャケットの「至上の愛」を久々見つけて、何となくインポート。序でに同じ紙ジャケットの永江孝志「Long Afternoon」もインポート。
結局正月は永江孝志を聞いたのだが、永江孝志の素晴らしさなんかぶっ飛ばすくらいこのジョン・コルトレーンのアルバムは凄かった。いかれていた。
初めてヒップホップを聞いた時「あ、全部ラップなんだ」と結構びっくりした気がする。「歌わないんだ」と。その当時の僕は、ヒットチャートに現れる音楽が全てだと思っていたし、ポップソングとは、音楽とは、メロディー主体、ボーカル主体であるものというイメージが強くあった。音楽の授業で紹介する音楽も、殆どそうだったしな。素直なお子だ。
だから、メロディ無しで歌として、音楽として成立することにはカルチャーショックを受けた。成立するというか「それでもよい」「音楽は一切構わない」ということに気付いた。
僕はただ生きていただけなのに、「音楽はこういうものだ」と誰かに何となく決め付けられたものを信じ込んでいた。そのことにも又気付いた。今のイカレポンチな性格へと続く。
歌を、メロディーを、歌唱力をヒップホップは破壊した。
後に似たトラックにこれでもかとメロディを乗っけるR&Bなんていう面白い音楽にも気付き、僕は又「ヒップホップはラップをしないと」という呪縛をつけていたことにも気付く。
何でも良い、と何度も音楽から学んだはずなのに、久々聴いた「至上の愛」は僕の音楽へのイメージを数十箇所バキバキに破壊していった。
あの時自分が熱く人に語ったことを思い出す。今、語りたくってこれを書いています。わかるぞ、当時の俺。すごい音楽だ。ジャズですが、決してオシャレなカフェイでかけてはいけない音楽です。ていうかもう、ジャズとかってもんでもない。
一曲目「Acknowledgement」から、気を抜くとリズムを見失いそうです。
圧倒的に聴くものを置いてけぼりにします。この曲に何を打ち合わせたのか全く感じ取れないまま、メロディを奏でるサックスは、リズムも、コードすらも気にしないかのごとく熱く演奏されます。後ろで乾いた音を出すピアノも、凄い熱量。
自分たちで精巧に組み上げ、現場でこれでもかと破壊していく音楽。
の、ように僕は思えます。そうとしか思えん。実際どうか知らんけど。
サンボマスターの山口さんは、テレビに出るたび、レスポールジュニアのボディをピックで叩いてた時期があった。あの人無茶苦茶ギターうまいのに、ただノイズを出す演奏をソロパートでずっと行っていた。そして思い付き語り。それを彷彿とする、演奏者四人のエゴのぶつかり合いのプレイ。息が詰まりそうになる。聴いたことない、優しくない音楽。
徹底的に自由を満喫したあとに、曲の中盤にサックスを一旦置き
「ア・ラヴ・シュプリーム、ア・ラヴ・シュプリーム、ア・ラヴ・シュプリーム……」
と歌います。語ります。もう無茶苦茶だ。僕は一生こういう発想は出来ない。如何に発想にストッパーをかけて生きているかを実感します。
これを聴いたあの当時からこっち、何枚かぐっとくるジャズアルバムには出会ったのですが、今もって「ジャズ好きです」とはいえません。
言えないですけど、聴いて思ってたのは、僕は「何とかしたいと思ってる音楽」がとにかく好きなのだなということ。破壊そのもの、若しくは破壊しようと思った音楽が好きで仕方がないと。
だから変な話ですが、「至上の愛」を表現するに当たって「こんなロックなジャズアルバムはない」と言いたくなります。面白いな、音楽って。ジャズって、コードループとリズムとアドリブでぐいぐい引っぱることじゃないのだ。やっぱり凡人の僕は固定概念にすごくとらわれていた。
音楽は、作成者が言い切れば音楽で、別に何でもいい。「何でもいいからって、なぁ?」じゃなくって「何でもいい」のだ。徹底的にリズムもコードも観客も無視して破壊してみた音楽は、最早ジャズって感じじゃない。でも、ジョン・コルトレーンはジャズとして提出した。
ジョン・コルトレーンから言わせれば、例えばジミ・ヘンドリックスの音楽を聴いて「何てジャジーなロックンロールなんだ」とか言うかもしれん。言葉ってのはそんなもんだ。
昔の自分の考え方を思い出して死にたくなることがあるが、日々変わったり、簡単に威圧されたり影響受けたりする自分ですが、随分前に死んだジョン・コルトレーンが「別に楽器置いて語ってもいい」と表現してることに同調した昔の自分と、寸分違わず同じ熱量で同調した今の自分がいたことは、少し救いになりました。
あ、永江孝志「Long Afternoon」も良かったですよ。「イミテーションイエロー」が最高です。
John Coltrane - My Favorite Thingsアルバムとは関係ないが。
この曲を含む「ブルー・トレイン」というアルバムもまた名盤です。